日本酒の国内出荷量が縮小しています。日本酒造組合中央会の調査によりますと、日本酒の国内出荷量は、ピーク時には170万㎘を超えていましたが、他のアルコール飲料との競合などにより、現在は60万㎘を割り込む水準まで減少しています。海外への出荷量は増えていますが、日本酒の全出荷量のうち輸出量が占める割合は2016年で3.5%しかありません。昭和30年には4,000蔵以上あった酒蔵は、現在は1,500蔵以下にまで減少しています。日本酒を愛する筆者にとって、極めて寂しい現実です。
日本酒造りは伝統的に「蔵元」ではなく「杜氏」が請け負ってきました。蔵元とは酒蔵のオーナーであり、杜氏とは日本酒の醸造工程を担う職人集団、つまり「蔵人」の監督者であり、酒造の最高製造責任者です。一般的な製造業に例えると、蔵元は経営者、杜氏は工場長といったところですが、大きく異なる点が二つあります。一つは「酒造りに対する権限は杜氏が持ち、経営者は口を出さずに販売に徹する」という関係性、もう一つは蔵元と杜氏たちの間にあるのは「雇用関係」ではなく、「酒造りを行う冬場だけの請負関係」にあることです。伝統的な酒造りを支えてきたこの完全な製販分離体制は、ややもすると市場や消費者の声から遠ざかる可能性も孕んでいます。
山口県に旭酒造株式会社という酒蔵があります。「獺祭(だっさい)」という日本酒を造っている酒造メーカーと言った方が分かりやすいかもしれません。当社の特色一つとして、伝統的な日本酒造りに欠かせなかった杜氏たちがいないことが挙げられます。
元々は当社でも杜氏たちが日本酒造りを担っていましたが、当時はまだ「獺祭」は誕生しておらず、「旭富士」という、比較的安価な銘柄を地元で販売している小さな酒蔵でした。日本酒の消費が低迷する中で、企業の存続をかけて、地ビールレストラン事業に取り組んだものの失敗し、多額の損失をこうむります。巷で経営破たんが噂されるほど業況は悪化し、危機を感じた杜氏たちは、酒造りを行う冬場に帰ってこなかったそうです。まさに、企業存続に関わる逆境を迎えました。
しかし、これをきっかけに、当社は当時では掟破りともいえる経営改革を実行します。これまで業界の常識であった杜氏制を廃止し、酒造経験ゼロの社員たちによって酒造りを始めたのです。会社に集まってくる消費者の声を酒造りに直接反映し、杜氏の経験と勘による醸造工程を徹底的にデータ化することで、杜氏に頼らない酒造りを実現しました。そして、雇用関係にある社員のみによる酒造りに転換したことで、夏場の酒造りが必要となり、全国でも珍しい「四季醸造」の体制を引くことになりました。この経営改革で誕生したのが「獺祭」です。経営破たんが噂されるほどの逆境が、成長への糧となったわけです。
いかなる企業も、社歴を刻む中で失敗を起こさないことはあり得ません。事業を成長させるため、事業を存続させるための努力をしているからこそ失敗するのです。失敗を恐れずにどれだけ挑戦できるか、失敗から何を学ぶか、そして失敗が招いた逆境をいかに成長への糧とすることができるか。
事業を再生に導くことをミッションとし、日本酒を愛するNBR合同会社の森が全力でご支援いたします。